読書量について
自分には胸を張って言えることがいくつあるだろうか。
数えてみたが、思っていたよりも少なかった。
日々自負していたり戒めていたりすることは、改めて考えてみればいくつもの言い訳があり、例外があり、ごまかしがあった。
ただ僕は、これだけは胸を張って言えるということが一つだけある。
それは読書量である。
僕は、文学作品を、びっくりするほど読んでない。
そこだけは胸を張って言える(恥)。
普通の人なら隠しておくようなことをけっこうTwitterに何でも書いてしまうこの僕が、読んでない本をここに列挙すると取り返しがつかなくなるんじゃないかと思ってためらうくらい読んでいない。
作家なら絶対に読んでるでしょ、と皆が思っているような名作も、え? それ夏休みの課題図書にありませんでした? というような古典も読んでいない。
なぜか。
音楽に取り憑かれていて、文字を読むのが苦手だったんです、みたいなカッコいい理由ではない。
その頃はただ一日を生きのびることに必死で読書などという余裕は無かった、みたいな壮絶な理由でもない。
ただただ忙しかったのである。
ゲームとマンガに。
嗚呼……
僕も最近まで、この浅すぎる読書遍歴をむしろ珍しいパーソナリティとして捉え、一周回ってちょっと自慢げに喋っていたのだが、作家になってしまったので、ちょっとこれは本当にどうしようか、いや、どうしようかっていうかどうにもならないんじゃないか、などと絶望している。
具体的に何の話かというと対談である。
まあ無名に近い僕に対談のお話など来ないのだが、もし万が一来てしまった場合、ひどい事故が起きるのではないかと不安なのだ。
ほらよくあるじゃないですか、「令和文学を語る」みたいな対談で普通に今の新人について喋ってたのに急に
「この文脈はボルヘスを参照していると思うのですが」
「分かります。ボルヘスはここまでのことをやりませんでしたが(笑)、やってしまうというのは、ある意味非常に令和的ですね」
「まさにそうです。私もまずその思い切りに驚嘆しました」
みたいなやつ。
ああいうのってなんでスラスラ会話がつながるの?
とかずっと思ってたんですが、みんな読んでるんですよね。普通に。
勘弁してくださいよ。
おれ読んでないよボルヘス。積んでるよそこに。その下の方に。
おれが対談相手だったら
「この文脈はボルヘスを参照していると思うのですが」
「……」
「……」
「……(笑顔)」
「……?(困惑)」
編集者「カット!!!」
みたいになっちゃうよ。
というのが、最近の悩みである。
少し補足をすると、僕は古今東西の文学の名作は読まなかったが、古今東西のマンガの名作は読み尽くしているし、古今東西ではなく身近にあったものではあるが、偶然手にして出会った大好きな文学作品は繰り返し読み過ぎてボロボロになり何度も本を買い直すくらい読んできた。
広く浅く読むのがいいのか、狭く深く読むのがいいか。
いい、ってなんだ。
僕はこれが好きなんだ。
そうやって、自分の「好き」だけに猛進してきたのが今の僕である。
でも人生を半分過ぎて、さすがにもう、それだけではやりづらくなってきた。
生きているだけで他のことの経験値が嫌でも溜まってくるが、そうなると、小説において自分がどれだけ無知であり、無防備であり、無自覚で危険な状態に晒されているかが分かってくるのだ。
自分の偏り方が分かってくるというか。
デビューするのに、いろんな本を幅広く読む必要はないと僕は思う(これは編集者さんにも言われた)し、むしろ偏りこそが個性であるが、プロになった後は幅の広さ、視野の広さも求められる(なぜかは知らん。社会)。
もう身軽で気楽な自分ではいられないのだ。
だからこの目の前に積み上げられた未読本の重さを我が物とし、作家の力というものを身につけていこうと思う。
ちょうど先日、48歳になった。
これからは本を読みます。